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コラム Archive
お盆
今回は、お盆ということもあり
私の個人的な話で…
私は毎年、お盆になると
大きな霊園にて、お仕事をさせていただいている
このようなコラムを書く機会をいただいていることもあり
様々なことに思いをはせながら
お墓参りに来る人々を見ている
お墓参り…供養をする目的は
このコラムでも何度も書いているが
その目的を深く理解しなくても
家族で集い、世代が揃い、一緒に手を合わせることは
大変大きな意味があると思われる
お墓参りをすることは
自分ひとりで生きてはいないことを
意識上においても、潜在意識の中でも自覚することであり
先祖に感謝をし、子孫に残せるものを考える機会となる
宗教を超え、宗派を超え
自分の生きる過程が、人の支えの上に成り立っていることを思えば
日常生活の中における自分の立ち位置が自然と見えてきて
大袈裟かもしれないが自分の生きる道しるべも見えてくるような気がする
ある人が言った
「うちの息子は、自分勝手で、自分ひとりで生きていけるようなことを言い、周囲に対して感謝の気持ちがないように感じる。どしたらいいだろうか…」
と
若い頃には、よくある感情ではあるが
年を重ねるごとに、周囲に対する感謝が芽生えてくるものであるが
一概に皆が、そのような感情を持つとは限らない
かといって、「感謝をするように」と命令して
その感情が得られるものでもない
逆に押し付ければ、押し付けるほど、反発するのが常である
感謝をするには、先に感謝をされる環境に立つのが早い
と、何かに書いてあった
感謝を知らない人間は、感謝をされる喜びをしらない場合が多い
感謝を重ね、感動を重ね、愛する人々と感情を共有する思いを知る
その素晴しさを後世に伝え
今いる自分と、環境に感謝する機会が年に何度か存在し
先祖に感謝する…
家族が、この世に存在していてもいなくても
自分の存在が真実であることを伝えてくれるのは
結局、先祖の存在なのだと
お盆に思う機会がある人は幸せな人である
鎌倉新仏教
最澄や空海の登場によって
日本に新しい仏教の捉え方が浸透した奈良時代
鎌倉時代に入り
日本は、現代仏教の基礎となるべく
「鎌倉新仏教」という新しい仏教運動が起こった
それは、武家政権の誕生前後から、天台宗の内部でにわかに起こり始める
その鎌倉新仏教の代表的な7人の祖師は以下の通り
・ 良人上人=融通念仏宗(1072年~1132年)
・ 法然上人=浄土宗(1133年~1212年)
・ 栄西禅師=臨済宗(1141年~1215年)
・ 親鸞上人=浄土真宗(1173年から1262年)
・ 道元禅師=曹洞宗(1200年~1253年)
・ 日蓮上人=日蓮宗(1222年~1282年)
・ 一遍上人=時宗(1239年~1289年)
この時代は、このように短い期間に
多くの代表的な宗派が立ち上がる
これらの祖師たちに共通する
立宗の動機は
天台宗の総合仏教から
一つだけの仏教を選び出した…ということである
自分達のみならず、多くの人々が救われるように
やさしく実践できる方法として
それを、お釈迦様の真髄の教えとして
その選んだものに専念したことが大きな特徴だろう
そして、これらの祖師たちや上層部の人間は
当時の皇族や貴族出身者がほとんどであった
そのころ比叡山は、派閥争い、座主をめぐる争いが起こり
開祖である最澄の教えを忘れたような有様を見て
比叡山仏教に見切りをつけて山を下りた…という共通点もある
比叡山を下りた祖師たちは
それぞれに解釈した仏教の教えを広め
目覚しい宗教活動を展開していくことになる
そして、これらの宗派は
現代に日本でも、脈々と受け継がれていくこととなる
江戸時代に、黄檗宗が登場する以外は
特筆するような動きは見あたらない
幕末から明治時代に「新宗教」としていくつかの宗派が出てくるまでは
大きな動きはなかったのである
日本の仏教の宗派について
現在、日本の仏教には様々な宗派があることは周知の事実である
そもそも、どの宗教においても
宗派の存在しない宗教などない
宗派は、それぞれが
「自分こそが真の継承者である」
と主張することから始まる
また、そうした純粋な信仰心ではなく
権力争いや、対立抗争から派生したものも少なくない
日本の仏教宗派内での分派も
そうした過程を経て
さまざまな宗派へと分かれて現在に至っている
日本に本格的な宗派ができたのは
中国仏教の学派的な宗派をそのまま用いたものは始まりとなっている
奈良時代に伝わった代表的な六派を「南都六宗」という
その六派は「三論宗」「成実宗」「法相宗」「倶舎宗」「華厳宗」「律宗」
となっている
次に平安時代となった日本は
二人の高僧を輩出することとなる
その二人は、同じ遣唐使の船団に乗り合わせて中国の唐へ渡り
帰国後に、それぞれに新しい宗派を開いた
その日本の宗教改革とも呼べる二人の高僧の登場は
奈良時代の学派的な仏教宗派と決別する圧倒的なパワーを持ち合わせ
新しい仏教の考えを提案した
その二人とは、最澄と空海である
最澄は天台宗を、空海は真言宗を開いた
よく比較対照に上げられる宗派であるが
この二派には決定的な違いがある
天台宗は、法華経を最高の教えとしながら総合仏教を目指した
真言宗は、天才的な空海によって
最初から完成に近い密教の実践と
圧倒的な説得力の理論を元に「真言密教」の教えに限られていた
その結果、天台宗からは最澄以降も
さまざまな優れた宗教家によって新しい教えが
次々と生み出されていった
一方、真言宗は、あまりにも完成されすぎた密教大系だったので
新たな展開を生み出す余地がなく
空海から300年も経った頃に
「覚鑁上人」という人物が浄土と真言密教を融合させた真言念仏を展開し
「中興の祖」と言われたくらいで
天台宗のように各分野で目覚しい活躍をした人物を輩出することができなかった
それほどに、真言宗はアレンジできないほどに
完成された宗派だったのである
死者を埋葬する意味
人類で最初に死者を埋葬したと思われるのは
ネアンデルタール人であると考えられる
ネアンデルタール人の埋葬が人類のお墓の原点のようである
人と違い、動物は埋葬儀礼という文化を持っていない
そして、人はこの埋葬という行為から
死後の世界と人の交換という「宗教」を生み出した
そして、意味や価値を共有している社会の中で
さまざまな交換が行なわれている
シンボルは、価値があるから交換できるのではなく
交換できる社会があるから価値が生まれるのである
ネアンデルタール人は、今から6万年前に存在していたと推定されている
その調査をアメリカのコロンビア大学の人類学のラルフ・S・ソレッキ教授と、その妻である考古学者のローズ夫人が10年間に渡ってネアンデルタール人について調査を行なっている
その調査でわかったことの中に
ネアンデルタール人が埋葬の際に死者に花を飾っていたというのである
今でこそ、死者に花を捧げるのは一般的なことなので
ネアンデルタール人が死者に花を飾っていたとしても
不思議に思わないかもしれないが
しかし、なぜ花を飾ろうと考えたのかを探っていくと
そこには、宗教的な交換構造を垣間見ることができる
先ほども書いたように
動物は、埋葬する…という習慣を持っていない
埋葬は、人だけが行う行為なのである
埋葬するのは、臭いからでも不衛生だとかいうネガティブな理由ではない
ネガティブな理由であれば、花などは飾ったりしないだろう
花を飾る行為には
死者(遺体)に価値を見出していたからだろう
その死者に、価値を見出す社会の交換構造がある…ということである
その価値とは、古い命と新しい命の交換である
新しい命は、たとえ母親のお腹を経由してきたとしても
古い命を、浄化して価値を高めることにより
あの世から送られてきたものとして考えられる
つまり死者を「あちら側」の世界に送り出すことにより
新しい命…つまり赤ん坊を「あちら側」から送ってもらうのである
人は死んでしまえば、単なる骨と蛋白と、脂肪の塊に過ぎない
死体は、交換されることで、それ自体価値を持つことになる
だから大事にする
そして、その価値を人々は「魂」と呼ぶようになるのである
あちら側の存在に死者を送ったことを伝えて
新しい命を送り返してくれることを求めて
儀礼として、埋葬を執り行なったのである
功徳と供養の関係性
功徳とは、様々な解釈があるが
仏教の中では、どうのように解釈されているのであろうか
「仏教学辞典」によると
「功徳」とは、「勝れた結果を招く功能(=能力)が善行行為に徳として具わっている」
と書かれている
簡単にいうと「良い結果を生む元になる行い」ということである
良い行いをすると、その情報が蓄積され
良い結果として返ってくるという因果応報の考えである
この功徳を身に付ける最善の方法が
仏教の中では、供養することであると言われている
しかし、これだけ多くの仏教の解釈が発生していると
その供養ですら、様々な解釈が発生してくる
この場合は「岩波仏教辞典」の解釈を引用する
まず、供養とは
● 仏・法・僧の三宝や父母・師長・亡者などに香華・灯明・飲食・資材などの物を捧げること
● 死者の冥福を祈る<追善供養>やそのために卒塔婆をたてる<塔婆供養>、餓鬼に食物を施す<施餓鬼供養>…その他、<開眼供養><経供養>などがある
どのような供養であれ、死者に対する供養が、功徳を得るための最善の方法であると認識できていればいいのである
ここで、供養に用いられる物を紹介しておく
「六種供養」と呼ばれていて
その六つは「水(=閼伽)・塗香・花(=花曼)・焼香・飲食・灯明」となっている
ただし、現代は、塗香はほとんど用いることはない
これらは、私達がお墓参りをする時に
今でも、よく用いられているものである
その中でも、花に関しては歴史が古く
死者に花を捧げることは
六万年以上も前から行なわれていたという文献もある
死者の家族は追善供養によってたくさんの功徳を積み
その功徳を、今度は亡き人に幸せのためにふり向ける
これが、回向である
まず、人が亡くなったなら
お葬式をして、お坊さんが修行で身につけた功徳を亡くなった人へとさし向け
死者は、仏様となり、浄土へ往生させる
そして中陰の四十九日間は、お坊さんに何度か読経してもらい
供養のお手伝いをしてもらう
そのうち、家族だけの追善供養へと徐々に移行していく
しかし、ここで一つ疑問がでる
お坊さんの読経により、死者が仏様となり浄土を往生できたなら
なにも、追善供養までする必要はないのではないか?…と
それは、民俗学でいう「死霊の浄化」の考え方と深く結びついているのである
功徳と回向の思想
インドの小乗仏教においては
自分の修行に膨大な時間をかけ
その結果、如来(=仏)となって初めて人々を救うことができるものだった
しかし、大乗仏教は、功徳を回向する慈悲と救いの論理があり
仏や菩薩にならなくとも、誰でも「供養」という「浄業」によって福徳を積むと
自分だけではなく、他人をも救うことができる「功徳」の力が生まれる
それを、亡くなった家族などに差し向けること…つまり「回向」ができるようになる
その結果、仏教では誰もが望む最終目的である「成仏」が可能になった
このインドの思想が中国の「先祖祭祀」と融合し
日本に伝わり、それを受け入れてきた日本では
死者の全てを成仏させる発想の庶民仏教となっていった
ここで、庶民仏教に大きな役割を果たす
神社の「お祭り」と、仏教の「先祖供養」との決定的な違いについて説明したい
「お祭り」を行なうには、そこにはすでに神様がいることが前提となってくる
それでなければ、お祭りは成り立たない
しかし、仏教には神が最初から存在するわけではなく
死者の浄化を待つこととなる
亡くなった人を神とするには、死者の穢れの「死穢」を長い時間をかけて浄化する必要がある
霊が完全に浄化するまでの期間は
人でもなく、神でもなく、とても不安定な状態で存在していることになる
人々は、この長い年月を待つ以外に方法が無かったのである
しかし、この問題を庶民仏教は解決することになる
問題が簡単に解決したわけではないが
日本古来の文化や民間信仰などが長い時間をかけて少しずつ習合していき
その結果として、短期間で仏になる思想となっていったのである
そこに大きな功績を残したのが、「功徳と回向」の思想だったのだ
その仕組みはこうである
まず、人が亡くなったら、その霊はお坊さんに仏弟子にしてもらい
お坊さんによる読経や引導などの葬式の、様々な儀式を経ることで
死者は、仏になるのである
この段階の死者は、古来の民俗学に沿って考えると
穢れが多く残る死霊の状態なのだが
庶民仏教では、死後の葬式を行なうことによって
死者の罪も煩悩も穢れも消し去り
悟りの状態となり、仏様として浄土への往生を可能にしたのである
神と人との交換構造と追善供養
私達は神社において
何の抵抗もなく
何の疑問もなく
神様に対して、様々な願いごとをする
また、村をあげてお祭をし
一年の豊作や豊漁を願い
平穏な日々が送れたことに感謝し
翌年もまた、同じ願いを繰り返す
人々からお祭されているのが
神様や氏神様や御先祖様…ということになってくるのだが
お祭されている側の神様なども
その願いごとを聞き届けてくれることになっている
古代中国でも
この仕組みはあるのだが
日本はご存知のように
おまつりすることで
人々はさまざまな祈願をし
供養してもらうかわりに
御先祖様がそのお返し(願いを叶える)という
「神と人との交換構造」が出来上がっている
では、お墓や仏壇の前で
御先祖様を供養する仏教では
この交換構造が成り立つのだろうか?
このことについては
インドの大乗仏教の論理だけでは
理屈が通らないことが多くある
しかし、お釈迦様のお墓である「ストゥーパ」を礼拝供養すると
長い間ご利益があり、死後に良いところ(天の世界)に生まれる
という「仏と人との交換」が見られる
だが、これが中国や日本の庶民仏教の追善供養になると
神社での神頼みと同じ状況になってくる
例えば、私たちは
何かに挑戦しようとしたり
困難に立ち向かう状況になった時は
お墓や仏壇の前で
亡き身内や、御先祖様に向かって
ご加護をお願いする
つまり、特定の宗教を信仰している場合を除いては
私達は、仏壇にまつられた御本尊様にではなく
無意識のうちに、亡くなった家族にお祈りをし、願いごとをしている
仏壇の前では「朝の祈願、夕べの感謝」といって
朝には家族の無事を願い
夕べには家族の一日が平穏無事だったことを感謝して手を合わせる
人々は、お墓や仏壇の前で、家族や個人の些細な事から命に関わる事まで
具体的で「現世利益」的な願いを祈ると
ほとんどその願い事は叶えられる
例え、その願い事が叶えられなくても
誰も御先祖様をうらんだりすることはない
つまり、仏教においても「仏と人の交換構造」が成り立っているのだ
しかし、これでは「神と人の交換構造」の焼きなおしに過ぎない
仏教は、この交換構造を
「供養による功徳の廻向」という考え方をもとにして
交換構造を創り上げていくことになる
庶民仏教的な六道輪廻
こちらで何度か説明している六道輪廻の考え方だか
これも、庶民の捉え方を無視することはできない
『中国思想史』を読みといていくと
中国仏教では、かなりはやくから
「六道輪廻するのは霊魂である」と考えられていたことがわかる
中国人の霊魂観は、今から少なくとも3000年以上も前からあったと
確認することができる
この中国の霊魂観が日本に大きな影響を与えていたことも確かである
日本が影響を受けたと思われる時代は、文献などから
特に飛鳥・奈良時代ではないかと考えられている
そんなことから日本もまた
「霊魂が六道輪廻する」という考え方をそのまま引き継いでいたのだろう
この場合は、庶民仏教というよりは
奈良時代の貴族や豪族などが写経や造仏などに死者の「霊」・「先霊」という表現を使って
さまざまな供養をしていたことが確認できる
おそらくこうした習慣が庶民にもなんらかの影響を与えたと思われる
また柳田國男氏の著書にも書かれているように
「人は死後、死霊となり、やがて祖霊へと浄化して神(=氏神様)となる」
という日本固有の信仰としての「霊魂観」を文献の上でどこまでさかのぼって確かめられるかは、とても難しい問題になってくる
もしもこれが日本の昔からの霊魂観であったとするならば
日本人は、古くから「霊魂は不滅なもの」と考えられてきたことになる
ちなみに『古事記』や『万葉集』で「たま」という観念があったことがわかる
この「たま」は「魂」「玉」「霊」「珠」などの漢字が当てられていて
いずれも「たま」と読ませている
日本に昔からこのように霊魂の考えが定着していたとするならば
朝鮮半島や、中国から
「霊魂が六道輪廻する」という考えかたが入ってきたとしても
スムーズに受け入れられたのではないかと思われる
霊魂は、永久不滅のものであり
その魂がどこに行き、何となるのかの違いだけで
違和感もなく、理解できたのではないだろうか…
涅槃の意味
涅槃の意味は?と問われたら
「死後のこと」と答える人が多いかもしれない
仏教以前の古代インド宗教では
涅槃のことを「死後」としているので
間違いではない
しかし、仏教の涅槃の本来の意味は
「完全な悟りの状態」である
涅槃を悟りと解釈をすると
同類後が数多く存在することが確認できる
その一部を抜粋してみよう
「解脱(げだつ)」「菩提(ぼだい)」「無為(むい)」「寂静(じゃくじょう)」「覚(かく)」「成道(じょうどう)」「無上正等覚(むじょうしょうとうがく)」
などである
その他に「成仏」「往生」などを加えることもできるだろう
これらは全て
「煩悩から完全に解放された真のやすらぎの境地」
「正しい智慧であらゆるものを見ることに目覚めた状態」
「完全なやすらぎ」
「ブッダとなる道を完成したこと」
などを意味する
そして涅槃には
「有余涅槃」と「無余涅槃」の二種類が存在する
日本では、涅槃を死後のこと…と解釈する人が多いのだが
この場合の意味を「悟り」と解釈すれば
生きているうちに涅槃を得る場合がある
しかし、肉体が存在している限り
完全なる煩悩の解放は難しく
悟りを開いたが肉体がある故に煩悩が残っている状態を「有余涅槃」と呼ぶ
これに対して肉体に煩悩が全く残っていない状態を「無余涅槃」と呼んでいる
肉体を所有していながらの、完全なる煩悩からの解放は不可能に近いと考え
「肉体からの解放=死」を持って無余涅槃を得られると解釈されているのである
このように「死後の涅槃」を「完全な悟りの完成」と解釈される場合が多いことから
「死後=涅槃」と解釈しているのかもしれない
日本に仏教が広まった当時の庶民は
そんな厳密な意味もインドの事情もわからないまま
「無余涅槃」が仏教の権威ある教えであると信じられて
「死ぬこと」がすなわち「涅槃」であるとストレートに解釈されてしまったようである
ここから日本人は、「涅槃に入ったものは仏である」
と、解釈し「死んだら仏様になる」との理論に飛躍していくことになる
本来、仏教においては
修行をし、悟りを開いた者が仏となるのだが
日本では、生前の行いの如何に関わらず
「死んだら仏様」…もしくは遺体そのものを「仏様」と呼んでいるのである
六道〜それぞれの道〜
何度か、書いている六道輪廻だが
実際に六道とは何か
何故に、その道へと転生するのか…について説明したい
六道とは、「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」
のことを指す
現世での行いによって
このいずれかに転生するといわれている
では、どのような行いで、どの道に転生をするのだろうか?
「天道」は、現世において、煩悩を捨てようと努力し、魂を磨き、智慧を持ち、真理の道を探求しようと努力し続けることができたものが行ける世界。寿命は、人間と比べ物にならないほど長く、喜びが多く、苦しみの少ない世界である。
「人間道」は、今私たちが生きている世界。苦しみもあるが、喜びも共存していて、真理の道へ進むためのチャンスも多い世界。人間愛に溢れた人が転生する世界である。
「修羅道」は、功徳も積んだが、不徳も多く積んだものが行く世界。阿修羅が住む世界である。その行いにより、さまざまな阿修羅へと転生する。人間と変わらないようにも見えるが、食の最後が泥になるなど、人間界に至らない面が多い。
「畜生道」は、動物に世界である。欲望にまみえ、本能のままに生きていると転生する世界。煩悩を断つ努力をせず、本能の赴くままに生きる結果、畜生に転生する。畜生には智慧がないゆえ、真理の道を目指すことが、かなり難しいため。上位の道に転生することが難しくなる。
「餓鬼道」は、飢えの世界である。異常なまでに食べ物に執着し、その欲するままに食べ続けると餓鬼道に転生する。この世界は、気の遠くなるほどの寿命があり、その長い間、飢えと乾きに耐え続けなければならない。
「地獄道」は、私利私欲のために、自分勝手に他の生き物を傷つけた罪人が罪を償うために転生する世界。苦しみしか存在しない世界。
そして、下の三つ「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」を合わせて三悪趣と呼ぶ。
この三悪趣に落ちると
上位の道に転生することが難しい故
早めに真理の道をみつけて、上位に転生できるよう修行することを仏教では勧めているのである。
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